雨、降り止まない。宿で雨音とテレビの音で半日、正午過ぎ昼飯のため外に出る。といっても、宿から出て直ぐのところ、カレー屋さんである。

 この前も食べた、知ってるでしょ、オバさんは言うが、どんなのだか判らぬままキーマカレーを注文する。カレーにしろパスタにしろ、名前が覚えられない。

 

 食事が終わったら雨は止んでいた。ぼくゆうさんとファイターさんにはお金出したけど、アストロさんには未だ、明日帰るんだから出さなくちゃ、オバさんは食事中に言っていた。熱乃湯のところに立像のアストロさん。雨が止んで間もないため湯畑の人は少なく、アストロさんを囲む人もいない。

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 静止したまま何を見、何を思っているのだろう。燃料費500円入れたオバさんはスワッと動き出したアストロさんと握手。何度見ても身体の動きは絶妙だ。

 熱乃湯から1分、御座之湯がある。比較的新しい共同浴場だ。これと西の河原露天風呂、大滝乃湯で草津三湯というらしが、御座之湯が一番空いている。

 

 今日の男風呂は石造りの方、湯船と床が石張り、もう一つの木のお風呂は女性ということになる。湯船二つ、源泉は万代鉱と湯畑。湯畑の方が酸性度は低く、硫化水素の臭いも薄い。オバさんは一緒になった若い子に、それぞれ味見させたそうだ。当然万代の方が強い酸味、彼女は草津国際音楽祭に来たのだそうだ。

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 宿泊先はユースホステル、会場には近いが、お風呂が温泉ではないという。草津に泊って温泉じゃないのはかなしい。温泉を引くのにどれだけの費用が要るのか知らないが、ユースホステルならば、大まけしてやれば良いのに。

 オバさんが出て来るまで休憩室で湯畑を眺めたり、本を読んだり。

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 御座之湯では浴衣のレンタルもしている。3時間2500円、入浴料600円も含まれているからそんな高くはない。それにちゃんと着付けてくれるので、心配しないで歩ける。窓から見ていたら、浴衣姿の若い二人が御座之湯から出て行った。湯畑歩いて、西の河原公園行って、コーヒー飲んで、3時間で充分だろう。

 

 夕食は今日も韓国料理にする。食べながら思う。昨今の韓国に対する政府、テレビ、週刊誌等のやり方はひどすぎる。韓国の政権を批判するのは良い。しかしそれには真摯な内省が伴わなければならないと思う。

 台湾で生まれ13歳で日本の土を踏んだ埴谷雄高は、『大岡昇平・埴谷雄高二つの同時代史』で語っている。

 

 「子どものときはその差別があまりわからないんだけども、やがてだんだんわかってくる。もうひどい差別だからね。ぼくが日本人嫌いになったのは、子どものときに本当に日本人はこんな滅茶苦茶なことをするのかと思ったことからきているんだよ」。人力車に乗り左へ曲がりたいときは車屋の頭の左を杖で叩く。

 

 魚や野菜を売りに来れば自分の思う値段でしか支払わない。埴谷自身の経験としては、遊びで投げ槍を作り、投げた槍を刺したまま逃げた豚を追いかけていったら飼い主の台湾人の家へ。その家の人は「僕の顔を見てアッという表情をしたと思ったらすぐ顔をそむけて、なんにも怒らないんだよ」

 

 「それでぼくはかえって、ああ、これは本当に悪いことをしたと思ってね」と述懐する。祖父が相馬藩士族の出で零落、父は台湾で製糖会社の幹部となった。

 これは孫引きになるが、中島義道著『差別感情の哲学』は会田雄二のアーロン収容所の出来事を引用している。会田雄二が英軍の捕虜になったときのことだ。

 

 「私は、部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったかのようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三人の女がい(たが、略)なんの変化もおこらない」

 

 「入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。(略)東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもの(略)」

 

 差別する側の日本人と差別される側の日本人がいる。台湾で魚を安く買った人は記憶に残していないだろうが、売り手の台湾人は忘れない。白人の女性は記憶の隅にも置かないが、会田雄二には鮮明な記憶として残る。稀有の例として埴谷は自分の胸に留めたが、豚をいじめた日本人の子どもに何も言えない屈辱を、台湾の人は忘れないだろう。

 

 植民地や軍事占領下で引き起こしたことを日本人が忘れても、あるいは隠したり糊塗しようとしても、された側が忘れたり納得するはずがない。

 日本国内であっても、会津と長州の関係はぎくしゃくしている。会津は未だに戊辰戦争時に受けた屈辱を忘れない。

 

 中島義道は先の『差別感情の哲学』で、差別感情に直結するものとして、不快と嫌悪と軽蔑を上げる。そしてこれは誰もが持つものであり、排除できるものでもない。哲学、文学等もこれなくしてあり得ない。人間存在の証とも言える。しかしこうした感情は、悪意持つ攻撃性として発露される危険性を常に持つ。

 

 どうするか、「自分の心に住まう悪意と闘い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御すること、こうした努力のうちにこそ生きる価値を見つけるべきなのだ。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない。誤解を恐れずに言えば、悪意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の価値を決めるのである」

 

 他者の悪意には悪意で応え、制御できたか判らぬまま他の悪意が湧き、或いは新たな悪意に気付く、そんな風に生きてきた私は忸怩たるものを感じる。今は少なくとも「嫌韓」などという文字の氾濫に流されないでいようと思う。感情のスイッチを押す為政者から目を逸らさないようにしたいと思う。 

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 暗くなってからライトアップされた西の河原公園へ行く。全くの1人だったら、怪しさ怖さを感じたのかもしれないが、西の河原は賽の河原にならなかった。
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